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川は死んでしまった。今、動脈の拍動のように、再びイノチを吹き込む。

なぜ私たちは耕すのか。ふみきコラム7-2015/5/8

開拓地に掘りあげたメインの水路に先日(5月4日)はじめて通水した。300メートルほど上流で沢からパイプで水を分流させ、それを昔使われていた水路に落とし、山中を下らせて開拓している最中の田にもってくるのである。当日は「開拓団」の共同作業で昔の水路を掘り出したり、まわりの藪を刈払ったりして通水にこぎつけた。こういう時の共同作業は本当に心強い。一人や二人だと尻込みしてしまうが大勢だと勢いでやってしまう。
 掘りあげた水路を水が勢いよく下っていく様はちょっとした感動である。「子どものころの遊びと同じだね」と誰かが言う。「秘密基地」と他の誰かが言う。まぁそんなところだ。こんな楽しい遊びは他にない。そして子どもにとってもかけがえのない体験、子どもが面白がることには人類にとって普遍的な何かがあり、大人にとってもかけがえのない体験であるはずなのだ。
 
 そのあと何度か水路を見て回った。水路がうまく機能しているか心配してのことだが、水が流れているのを見ているのが楽しいのである。小さな水路だが昨日まではただ掘りあげた溝だったところに今日はせせらぎの音がする。動脈の拍動に似て、この地に再びイノチが吹き込まれたようで嬉しくなる。何かが始まるのだ。
作業中、一匹の沢ガニがもぞもぞ動いているのを見つけた。「いたいた。」このような沢には沢ガニがワサワサといるのが普通なのにどこにもいないので気になっていたのである。魚の類も全く影がない。どうしたことか。先日、地主さんの一人と話をしたとき、「昔はあの沢でよくウナギを採ったものだ。オレの田でもとったことがある」と聞いてびっくり。「オレの田」とは言っても今はただのヤブであり、ほとんど山だ。
 そして思い出した。自分も遠い昔、まだ小学生だった頃、山の中のほんの小さな谷筋に(今考えれば谷津田の用水路)ウナギが潜んでいるのを見つけ兄弟で興奮してつかみ出したことがあった。山にはウナギがいたのである。(このような経験もわれわれ世代をもって最後となってしまった)ウナギに限らず山の沢は生物相が実に豊かだった。沢ガニはもちろんカジカもザルでとる程いたし、小さなウグイが群れていたし、カエルがいたしトンボもいたし、カワセミもいた。谷水は今もきれいだがそこには何もいない。
 その理由は今更言うまでもない。農薬や化学肥料、生活雑排水の害もあるがそれ以前にそもそも田舎には川らしい川は無くなってしまっている。圃場整備事業とともにほとんどの水路はコンクリ三面張りの単なる用水路になり、至るところを堰きとめてポンプアップして田に配水するようになっているので、魚はほとんど生息できない。まして遡上できない。川は死んでしまったのだ。これもまた「農業の近代化」の一側面である。(本質と言ってもよい)。

 昨日、水路をシロと一緒に見て回っていて足が滑り、どんと手をついたらそのほんの1m前にマムシがいた。いや、マムシをみて「オッ」と体勢を崩したのかもしれない。見間違えようのない正真正銘のマムシだ。タマゴを持っているのか、腹が太く、動きはモソリとしている(普通マムシは飛ぶように早い動きをする)一瞬、つかまえてマムシ酒という考えもよぎったが、オレは酒飲まないし。捕まえて逆に噛まれたらいやだし。怖くもあるが古い友人に出会ったような妙な懐かしさもあり、棒でつついてからかっていたらモソモソと草むらの中に消えていった。「あそこにはマムシがいる」と聞いてはいたが、こんなに早々と出逢うとは。豊かな生物相というお題目はいいがマムシはなぁ・・・。
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