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シノ竹との格闘‐人が傷つけた大地を修復するカサブタ

なぜ私たちは耕すのか。ふみきコラム5-2015/3/21

茨城にはことの他多いのであろうか、シノ竹は大変やっかいな相手である(山梨ではあまり見かけなかった)。畑を使わないでいると隅の方からシノ竹が張り出してきてその群落をどんどん拡げていく。一年で約1メートルほど張りだすということだから普通の広さの畑であれば10年か20年でシノ竹に埋め尽くされてしまう。「開拓地」は30年くらい放置されていたし、奥の方は40年ないし50年前から使っていないのだからシノ竹の原野になっているのもうなずける。ただし、葦やイバラの群落となっている湿地のエリア、いつも水が溜まっているようなところにはシノ竹は侵出できない。逆に強湿田でも隅の方は段差や沢があって水が抜けやすいのでそういうところはシノ竹が繁ってくる。

シノ竹は正しくは「アズマネザサ」といって笹の類なのだが、その名誉のために付け加えると自然植生の中では大きくはびこるということはまずない。セイタカアワダチソウやススキなどと同じで人が木を切ったり耕したりして撹乱したところにいち早く進出してる植物で、そういう意味では人が育てているともいえるし、人が傷つけた大地を修復するカサブタのようなものだともいえる。また、一旦繁ると地下茎が縦横無尽にはびこるので、土が水で流されたり崩れたりすることが無い。役にも立っているのである。

竹(ササ)は不思議がいっぱいの植物だ。木であれ草であれ多年性の植物は普通は見ればひと株というのがわかる。しかし竹は株を作らずに地下茎で面的に展開していくのでどこからどこまでがひと株なのかわからない。面的に展開しながら垂直方向にも茎を伸ばしていく。これが普通にみる竹なのだが節が接地するとそこから根が出てくるので地下茎と同じ仕組みだとわかる。ひと株が広い範囲で広がっているので上を刈ろうと多少根(地下茎)を抜こうと退治することはできない。枯れる時に一斉に枯れるのがひと株ということになるが、枯れるのは数十年に一度なので(竹の種類によって異なる)それを目にすることはめったに無い。(数十年に一度、花をつけ(つまり有性生殖し)実をつけて株は枯れる)

「開拓地」は今、このシノ竹の壁と格闘している。草刈り機で切ることはできるのだが、細いツル性植物が上の方にまとわりついているのでその都度草刈り機を置いて引き倒さなければならない。これがやっかいなのである。刈ったシノ竹は、この先田の中に排水用の暗渠(あんきょ)を作るので、その材料として利用するつもり。

大変ではあるがシノ竹が切り倒されて次第に空間が拡がってくるといかにも「開拓した」という気分になる。30年前の原状もようやく見えてきて、そうか、こうなっていたのかなどとわかってくる。これらの田に水を引く水路も先日ほぼ確認した。200メートル以上上の方で沢の水を分流させ、それを中央の水路に引き、それぞれの田に引いている。この水路も今は埋まってしまっているところも多いのでヤブを刈り払い、修復しなければならない。

シノ竹の壁は幅40メートル位でまだ100メートル位続いているが、(今年はとてもやれないが)シノ竹の原野となっているところは乾いているということであるから、無理に水田に戻さず「みかん」栽培などに利用したらいいと思う。旧八郷町は「りんごの南限、みかんの北限」といわれ、梨、ブドウ、柿など果樹栽培が盛んなところだが、みかんだけは八郷の中でも栽培できる場所はごく限られている。

この谷津田を含む一帯がまさにその場所で、筑波山の下腹部に特異的に気温の高い層ができるのだそうで、田を借りている十三塚の集落はみかんと柿を中心とした小さな果樹団地となっている(観光農園)。みかんや柿は低農薬での栽培が可能なので試みてみたいところである(無農薬でできるという人もいる)。八郷のミカンは酸味と甘みのバランスが良く、味も濃くてボクは大変なファンなのだが、5年後、10年後には自分で作ったみかんが食えるという訳である。ありがたや、ありがたや。