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現代に「祀る」-ヤハズノウジ麻多智と夜刀の神

なぜ私たちは耕すのか。ふみきコラム3-2015/3/7

田を借りたからといって必ずしもそこを自由気ままに使っていい訳ではない。地権をもつ人から借地して、書類を作り、農業委員会に提出すれば手続きとしてはOKだ。誰に文句を言われる筋合いはない。はずなのだがそう簡単ではないところが農地の難しさだ。

例の「開拓地」の作業は水路を作ったり、草を燃やしたり、ゆっくりではあるが少しずつ進んではいる。ところがいつも車を停めさせてもらっている人から「ちょっと遠慮してくれ」と言われてしまった。地区の人が集まった折、「どうして知らん人たちに貸しているのか」と言われたのだそうだ。ムラはまわりの目を四六時中気にしなければならないところだ。ムラには必ずそういうことを言う人がいる。大半の人は「まぁいいではないか」と思っていても一人でもそう言う人がいれば無視できない。やっかいなことではあるが、ここにも農地のもつ公共性という問題がからんでいる。

農地は法的には地権者の私的所有物だ。しかし現実には個人のもの以前に部落(地区)の土地であり、部落のみんなが慣れ親しんできた風景としてそこにある。地権者が煮て食おうが焼いて食おうと勝手という訳にはいかない(今はそうする人も少なくないが)。だからどこの誰だかわからない人(ヨソモン)に貸せば話題になり必ず何か言う人がいる。ボクらは「侵入者」であるからそれは仕方ない。大勢でワイワイガヤガヤと作業に入ることも多いから目立つということもあるだろう。そこは自覚して気をつけねばならない。

こうしたことはムラの排他性としてネガティブに語られることが多い。しかしこれはムラのエゴというより元来ムラの自治に関わることで、自治には多かれ少なかれ排他性が含まれる。現在はかってのムラ共同体は解体してしまったし、街の人との混住化も激しいし、世代も交代しているので排他性も弱くなり陰口、あるいは愚痴程度のものになっている。ボクらへの奇異の目も遠からずやわらぐだろう。

 

ムラの人たちの眼より気になるのはケモノたちの眼である。雨上がりの午前中、歩いていく道に点々と真新しいイノシシの足跡が続いている。ついさっきそこを歩いていたかのように生々しい。

シノ竹林に分け入れば至るところにケモノ道があり、何か掘り出して食べたのだろうか、あちこち掘り返している。ここは彼らの生活圏であり、夜はシシガミの支配する土地なのだ。昼は山の奥にひそんで人の気配をうかがっているに違いない。北の方で原発事故が起きて以後、山の汚染が彼らを汚染し、食用不可が続いたおかげでハンターも来なくなり、増殖を続けているようである。(*2014年、石岡市では基準値超えのイノシシ肉は出ていない)

 

昼と夜で場所をシェアできればいいが農業の如きことを始めればそうも言っていられない。彼らを排除しなければ何の収穫も期待できない。ここは専守防衛でいくしかないか。農場の河村さんは何の目的なのか知らないがワナ猟の資格を持っている。しかし罠は捕獲した時は生きている訳だから、身動きできない彼らを突き殺さなければならない。しかしそんなことをしたら彼らはタタリガミになってしまうではないか?それは困る。そもそもワナ猟はだまし打ちでフェアじゃない。

開拓はいつの時代もこの問題に悩まされる。常陸国風土記の行方郡の条に(茨木空港のあるあたり)6世紀頃のこととして谷津田開拓のエピソードが残されている。ヤハズノウジ麻多智という者が新田を拓こうとすると「夜刀の神」が仲間と共に現れておおいに妨害した。怒った麻多智は彼らを打ち殺し追い払うのだが同時に彼らを神として祭るのである。「この標より上、つまり山の上は夜刀の神の土地としよう。だが山の下の土地は人々が耕作する田である。今から後は自分が神を祀る祝(ほふり、神主のこと)となって永代にわたって祀るから、けっして夜刀の神は土地を追い払われたことを恨みに思ったり、人々に祟ってはならない」 こういうやり方もある。とはいえ「祀る」というメンタリティはまだボクたちに残されているのであろうか。