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生活の手ざわり、暮らしの奥行き。暮らしの場の自給という原点。

なぜ私たちは耕すのか。ふみきコラム6-2015/3/28

「開拓」はむろん現場の作業も大変には違いないが、本当の難しさはむしろソフトの方である。作業はまだまだ先が見えなくて、6月初旬に予定している田植えまででも、暗きょ排水、イバラの抜根、アゼ作り、水路の修復、進入路の確保、耕起等々と、高いハードルがいくつもひかえている。しかしハードは手間さえかけることができればやることははっきりしている。問題はソフト、つまり「開拓」って一体何?ということだ。

家の庭作りのように個人の趣味であれば、自分が楽しく納得していればいいが、農場や会の人たちと一緒にやるとなれば、しかも「開拓団」などと旗をかかげて呼びかけたりするとなれば「それが何なのか」を言わなければならない。まして「勧進帳」をぶら下げて「投げ銭」を募るとすれば(基金のようなものが必要となる)尚更だ。

40年前、たまごの会が農場を作った時は、公害の一種として農薬の多投や近代畜産の諸問題があり、安全安心の食べ物を手に入れるには自分たちで農場を作るしかないんだ、という分かりやすい表向きの物語が共有できた。むろん参加する人たちの本当の動機はいろいろであったにせよ。そしてその小さな物語はもっと大きな物語に続いていると信じることもまだできた時代だった。

そんな牧歌的な(?)時代は遠くに去り、今は安全安心の食材は商品としてありふれている。商品であるならばこれよりもあれ、あれよりもこれと、よりよい選択をするのが賢い消費者ということになり、「生産者」はビジネスとして営農を考えるのが賢い生産者ということになる。しかし有能で人脈に恵まれ、いい商品を安定して送り出せる「賢い生産者」になれる人は少ない。有機農業者の多くは意地悪い言い方をすればビジネスっぽくない装いをすることでビジネスとして生き残りを図るしかなくなっている。それはやむを得ないことではあるが、そのレベルを越える筋道がことばとしても、具体的な形としても示されなければ先がない。自分を奮い立たせることができない。

いまそれを「暮らしの場の自給」ということばで考えてみたい。ヤッホー祭であれ、「開拓」であれ荘園構想であれ、みなそのモサクといえる。ヤッホーはその自給を地域の人たちや農場以外の新住民と共にやっていこうということであろう。「たまごの会」も「暮らしの実験室」も都市会員と農場スタッフという関係の中でやってきたが、その枠を取り払うということである。「開拓」はその暮らしの場に深度を加える試みといえようか。

振り返ればこの農場の建設自体が「開拓」であり、暮らしの場の自給の第一ラウンドであった。多くの消費者グループが「農家と組む」ことで安全安心の「モノ」を手にしようとした中にあって、たまごの会は「共同で農場を作る」という選択をしたことによって、はからずも「モノ」だけでなく、暮らしの場の自給というテーマを手にしたのである。

農場建設という開拓、生き物たちや土との触れ合い、農場スタッフとの関係、自主配送、農場を介しての多様な人たちとの出会い、地元農家との関係、世話人会や農場での口角に泡をとばしての議論、そうしたワイワイガヤガヤとした中にたち上がってくる何か。共同体という幻想。時代的な制約や沢山の雑音があったにせよ、農場建設に参加することで都市会員の生活の手ざわり、暮らしの奥行きは格段に深まったはずである。

しかし第一期の「開拓」の時代が去ると大きな傾向としては「食べ物の自給のための農場」というところに後退していったことは否めない。「暮らしの実験室」への改編はそこを突破しようという意志であったはずであり、農場という場を使って様々な試みも為された。農場を使ってやれそうなことは大体やった。しかしやはり「農場40年」という慣性の力は強いものがある。ヤッホーも「開拓」も、ならば農場の外に打って出ようということである。この農場は「農場」として作られたことによって、また「里」という場所にあることによって、すでに基本性格を与えられ、やることも決められている。そこを越えなければならない。山と樹と水の谷津田開拓は農場の「奥の院」として、暮らしの場の自給という原点に帰り、そこに深度を加えようということではないかと思う。S