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身体と精神の古層を語り出す場所。

なぜ私たちは耕すのか。ふみきコラム4-2015/3/14

「開拓地」では今、完全に埋まっていた水路を復元すべく、小さな重機(ユンボ)を持ちこんで掘り起こしているところだ。 この重機は農場のすぐ裏の知人から借りた。彼は早期退職して農業を始めて20年位になるのだが一人なので(奥さんと家族は休日にやってくる)その分いろいろな機械を揃えている。軽トラックで運べる小さい重機ではあるが、動き出せば人力の及ばぬ力がある。できるだけ人力でやりたいところだが葦の根の張りめぐった泥田を幅60センチ深さ80センチ、長さ100メートル以上掘らなければならないのでやむを得ない。今年から作付けるとすれば3月中に「田の水を抜く」ところまでやらなければならないから(谷津田は一般に強湿田で、そのままでは作業にならない)。水路掘りと同時にまわりのシノ竹も刈り進め、やっと田の端まで見通せるようになった。

そこには沢が流れていて、それが自然の庭園のような配石具合で見とれてしまう。今ではほとんどの水路は三面コンクリの護岸工事でただの「用水路」になってしまっている。幸いにも早くに耕作放棄され、農業振興地域から除外されたおかげでここは自然のままの姿を残している。それが嬉しい。その上流には人家は無いが、趣味と実益(バーベキュー場?)を兼ねてマスを飼っている人がいるので飲用はできないが、水はきれいだ。反対側の山際にも細い谷水が流れていて、こちらは飲用できる。ボクがその地に引き寄せられる一番の理由はおそらくこの沢と水だ。

そして沢があれば山だ。その多くは杉やヒノキの人工林と孟宗竹と真竹の竹林だが、一部に樫やモミの大木がある。巨木とはいえないが一人では抱えられない太さがあり、モミはまっすぐに天に伸びている。おそらくこの地域の自然植生の生き残りなのであろう。この山はそのまま筑波山に続いている。筑波山は筑波山系の主峰だが、この谷はほぼ直下に位置している。筑波山系は山としては浅いとはいえ、筑波山の高いエリアには何千本ものブナ林があり(信仰の山だったこともあり)豊かな自然が残されている。かっては修験の山として栄えたこの山々も魅力である。

これらの沢(水)も石も樹も山もかっては自然信仰の対象であり、山岳信仰の世界であった。修験者はそこにたわむれ験(ゲン)を積んでいった。してみると、ボクは耕作放棄地の再開拓などと言いつつ実は自分の精神の古層を再開拓しようとしているのであろうか。

今の農場は里にあって農業にはいい場所だ。米も畑作物もよくでき動物を飼うにも適していて面白いテーマも色々ある。今現在ボクらの主戦場はここだ。しかし里は里であり、農業は農業であって、そこをどうデザインしようと農法をどう工夫しようと身体と精神の古層には届かない。いや精神の古層などというよりただ自分の子ども時代に戻りたいだけなのではないか。谷津田のある風景は子ども時代日々慣れ親しんだものだったから。人は加齢するとともに地柄が露出してくるというけれども(古里に帰ると知らぬまに昔使っていた方言やなまりがでるように)それに似たこととして。

そして不安になる。もしそうだったとすると、谷津田とか山とか言ったところで子ども時代にそれを経験しているはずのない若い人たちにはその真意は伝わらない。なんのことだかわからない。ボクがなんでそんなに入れ込んでいるのかわかってもらえないということになるのではないか。たぶんわかってもらえないと思う。それは仕方がない。しかし形が見えてくればもうボクが語らなくてもその場所が何かを語り出すはずだ。そのような場所にしていきたい。